2014年4月7日月曜日

STAP事件簿02 2013年暮れ


STAP事件簿02 2013年暮れ




2013年の5月の連休もあけて、理研は第二段階に入った。



知的財産担当は連休前に提出した国際特許を今後どうするかの協議を続けていた。国際特許はその後、各国の知的財産を申請するのが普通であるが、方法や戦略は多岐にわたる。



とにかく「お金になる特許」と考えられるので、関係先との調整も含めて慎重に進められてきた。理研としても国庫の研究費を獲得したり、理研100年の計にも影響があるこの特許に強い関心を持っていた。



当時の理研の知的財産に関する重要会議の議事録などが公開されることを望む。



現場では、まず小保方さんが毎日のようにネイチャーからくる「査読結果」に追われていた。論文を出すと数か月で最初の審査の結果が来て、普通は2か月以内ぐらいに返事を出す。



査読は、研究の筋から、文章、さらには語句の修正まで多くの指摘があり、写真などの追加、修正、説明などを求められる。



論文は提出された後、思いがけなく「そのまま通る」ということもあるが、もし「ある程度、杜撰な論文」の場合は、少なくとも数回は査読委員とのやり取りがある。かつては郵送だったのでかなりの時間を要したが、最近はメールで片付くので格段に早くなったが、それでも返事を出すのに1か月ぐらいはかかる。



そこで小保方さんは上司とも相談しながら、査読に対応していた。その間、10名ほどの実験部隊は追加データを取ったり、新しい実験に取り組んだりしていただろう。



その努力が報いられて、投降した論文は、ついに10か月後の暮れも押し迫った2013年12月20日に「アクセプト・・・つまり査読を通過して雑誌への掲載が決定される。上のものでは、"Accepted 20 December 2013"となっているところで、日本語では「2013年12月20日 掲載証人」という意味である。」されたのである!!



論文を提出してもそれが「アクセプト」(掲載可)になるかどうかは一つの賭けだから、研究チームも、上司も、理研首脳部も喜んだに相違ない。



またタイミングも2014年の4月に理研の「特定法人」の指定の時期から言って、その前年の12月だから、最善だ。このような経営的な意味を持つ論文や特許は首脳部はその経過を事細かに知っているのが普通である。



また、日本人は欧米のソサイアティーに深く入り込めないので、「論文を出したら、査読に従う」というのが普通だが、アメリカなどでは、雑誌社の関係者に電話して「急ぐから何とかしてほしい」ぐらいの圧力はかける。



今回の論文はハーバードのバカンティ教授も関与しているし、理研も国際的なネットワークを持っているので、ネイチャーとの事前の折衝もあったと考えても良い。



いずれにしても、ネイチャー論文が2014年の一月末に掲載されえることになり、理研もさらに先のことに動き出すことができるようになった。



特許は公開するまで内容を秘密にしておかなければならないので、「記者会見」のような派手なことはできない。しかし論文は掲載されれば直ちに詳細が分かるので、演出もできる。だから「論文掲載の決定」は組織にとっては重要である。



ところで、ここで論文と特許の著者(発明者)を確認しておきたい。論文の著者(横のコピペ)はすでにマスメディアを通じて明らかなように、小保方さんを筆頭にして、若山教授、笹井さんなどが並んでいるが、特許の発明者にはバカンティ教授を筆頭として、小保方さんは一発明者である。(下のコピペ)



いずれにしても2013年暮れ、理研の関係者は「忘年会と祝賀会」を開いて年を越すことになった。


(平成26年4月7日)


武田邦彦


(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年4月6日日曜日

STAP事件簿01 2013年正月






STAP事件簿01 2013年正月




(STAB事件は今、進行中ですが、日本文化(学問、教育、若者)のために大切なことなので、整理をしておきます)


STAP事件簿は、今(2014年4月)からさかのぼること約1年3か月、つまり2013年の正月から始めることとする。



正月明けから理研の発生再生総合研究センター(発生センターと呼ぶ)の首脳部は重要な決定をしようとしていた。それは数か月先、できれば3月か4月までに、STAP細胞についての「理研の特許」と「ネイチャーに掲載されるような論文」を出すことを決めなければならなかったからだ。



「木を見て森を見ず」にならないように、この事件簿ではできるだけ詳細にわたることを避けて、物事の本質に迫りたいと思うので、この会議の細かい発言や人物像はここでは割愛して、先に進む。



国際特許を出しても、論文を出しても、いずれ1年から2年ほどの間に公開されるので、ほぼ同時期に出すのが適当だ。つまり、特許だけにすればお金だけ、論文を出せば名誉だけ、と言うことだから「お金と名誉」の二つが必要な理研としてはどうしても二つは出さなければならない。



しかし、特許の方は「権利を持つのは組織」で「発明者は二の次」であるし、論文はその逆で「名誉を受けるのは個人」で「組織は二の次」である。



また特許というのは、「自然科学」と「社会の法律的権利」というかなり専門領域の違うものを結び付けなければならないので、それをつなぐために、実験担当者(小保方さん?)、上司(笹井さん?)、理研の弁理士(執筆者)で共同して行い、理研の知的所有権の部署にも十分な説明を上司の方からすることになった。



(この事件簿で?がついているのは、公式な発表がないことから確認が取れていないもの、警察の捜査が必要なものなどのものである)



理研以外にSTAP技術の権利を主張するアメリカ・ハーバード大学との提携機関である「ブリガム女性病院」、日本の「東京女子医大」などがあるので、そことの合意を測りながら、国際特許を出願することになった。



理研のデータについては小保方さんを中心とした実験チームが出して、上司と弁理士が説明を受け、弁理士が代筆して第一案を出して来たら、それを理研の発生センターで検討し、合わせて日米の関係先に検討してもらうことになった。



現場はさっそく作業に入り、弁理士が発生センターに来て、実験の様子やデータ、打ち合わせを行い、知的財産部では、アメリカと女子医大との間で、これまでの成果に対する貢献割合を決めて、特許になった時のお金の取り分などの協議に入った。



特許の方が動き始めたとき、小保方さんや上司などの現場サイドはさらに忙しくなった。というのは、特許と論文のデータなどの中身は同じだったが、ネイチャーに論文を出すとすると、どのような構成で行くか、英文の作成、写真や図表の整備などが必要なので、それはそれで並行して現場チームが担当した。



そして、運命の論文が2013年3月10日、旧陸軍記念日にネイチャーに投稿された。論文の表紙には、”Received 10 March 2013” となっている。つまり、論文の原稿が小保方さんからネイチャーに送られて、ネイチャーの担当者が投稿されたことを確認したのが3月10日だったということが分かる。



続いて、2013年4月24日に特許が出願された。正月から3か月、理研や関係機関の多くの人が努力した、「特許と論文」はこうして提出され、発生センター長、知的財産部署長、そしておそらくは理研理事長から「世紀の発見と工業所有権の申請」についてねぎらいの言葉があり、これが理研の今後の「発展」(学問的発展ではないが)に大きな意味を持つことが関係者で確認されたであろう。



そして、5月の連休には一仕事を終わった人たちがしばらくぶりの休みを取り、ゆっくりと骨を休めた。



理研の記者会見で私が不信感を持っているのは、特許と論文がほぼ同時にでてきて内容も同じと考えられるのに、「理研が出した特許」には触れず、「個人が出した論文」だけを問題にしたということです。



普通には「同じな内容の特許を出していて、それは理研が出した(主体者は組織としての理研)ものだから、論文に記載されているのは事実である。」と言うはずだからです。


(平成26年4月6日)


(録音を聴いてみると弁理士のことを弁護士と言っているところがありました。すみません)


武田邦彦








2014年4月4日金曜日

【STAP騒動の解説 260404】 ぬかりはないが何も出てこない人と、ぬけているがひらめく人




ぬかりはないが何も出てこない人と、ぬけているがひらめく人



人間は万全でもなく、すべてをカバーできる人も少ない。とかく、うっかり屋さんは良い成果を生むけれど、何から何まで気を配ることができる人は創造的なことは苦手と言うことが多い。


多くの学生を育てるうえで、最も大切なことは、その人なりの個性を生かして長所を伸ばすことだ。間違いが多い学生で、だらしない学生もいるけれど、何かに夢中になって他のことがおろそかになる「赤ちゃん型」の学生も多い。そのような学生は機械や電機などの分野では特に伸びるように感じられる。


赤ちゃんは何にでも興味を示し、やる気満々である。これに対してミスのないしっかり者の大人の中には、確かに抜かりはないが面白い結果は期待できない人もいる。


もともと日本社会はミスを咎める傾向があるが、最近のマスメディアやネットを見ていると、悪いほうの日本文化が発達して、ミスを咎める傾向がある。まさに「角を矯めて牛を殺す」と言うことが現実レベルになってきたように感じられる。


ミスをする人を見て「そんなこと信じられない」と言う人が同時に「奇想天外な着想」ができるかというと正反対のように思う。


まして、科学の分野では「成果は人類共通のたから」であり(公知・・・「こうち」と読む)、決して発見者の所有物ではない。「所有物概念」がはっきりしているのは「世俗的な考えの人」で、科学そのものに興味があると、つい人のものも自分が使ってよいと思うのが普通で、しかも法律的にも正しい。


「コピペしてはいけない!」などと、違法(科学の成果を無断で使う人を非難すること)を教える人は、自分自身が所有権を重視するお金にまみれた人だが、そのような人に「平和への道」を閉ざされたくない。


(参考)著作権法
  • 著作物とは「思想または感情に基づき、創造的な表現物」である。
  • 著作したものの引用が必要なのは、その著作が著作物である場合だけである。

(平成26年4月4日)
武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






2014年4月1日火曜日

「小保方さんは悪くない!」  武田邦彦がSTAP細胞問題を徹底解説!

この問題が、この先どのようになっていくのか分かりませんが、
武田邦彦先生の解説を聞くと真実が見えて来ますね。

今後も引き続き、この問題について解説して戴きたいと思います。

その1 (4月1日収録)

その2 (4月1日収録)

その3 (4月1日収録)

その4 (4月1日収録)

【STAP騒動の解説 260401】 公道、公園、公海、公知・・・それこそ私の学問のプライド




公道、公園、公海、公知・・・それこそ私の学問のプライド



公道は誰かが土地を提供し、誰かが苦労して整地し、舗装しただろう。でもいったん「公道」として使われれば、誰がいつ、無断で使ってもとがめられない。それはその国の国民の共通の財産だからだ。


公園、公海・・・人類には「所有権」があり「制限」があるものと、「人類共通の財産」がある。かつての入会権も同じだ。


そして、人間の頭脳が生み出した知的なもの・・・学問、芸術、スポーツもまた人類共通の財産であり、だれでもが自由に使える(公知という用語が使用される)。まさに公の道、公の知である。


「シライ」という体操の飛び方がある。それは若き白井選手が編み出し、披露したものだ。でも翌日、他の人がシライを演じても良い。スポーツは人類に共通の財産だからである。


私はなぜ学問を職業として選んだかというと、この世は「所有」がすべてだが、その世で「所有の無い世界」で私は人生を送ろうとした。だから、私の成果は誰が使っていただいても良いので、著作権を主張していないし、大学で研究するようになってから、多くの特許を企業が出したが、私自身は出していない(私の発明を企業などが特許にしただけ)。


この世には、「人類共通の財産」がなければ成立しないし、それが多ければ多いほど平和に近づくと私は思ってきた。平和主義の人はぜひ、私の活動を支持して欲しい。


今、STAP論文のことで、学問は危機に瀕している。学問がお金、利権、名誉などにまみれたら人類は損失をする。2つの例外だけ(著作権と工業所有権)を認めて、あとはオープンなのだ。


著作権は「思想、感情に基づき」、「創造であり」、「表現されたもの」の3条件が必要だ。だから、文学作品などは感情に基づいているが、自然科学(物理や生物学など)以外でも、思想、感情ではないものは多いのではないかと思う。


学問が世の利権にまみれ、コピペしていけない、引用元を示さなければならない(道路を歩く時に誰かに断らなければいけない)というのは学問の冒とくでもあり、また法律違反ですらある。


(平成26年4月1日)
武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ








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