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2016年2月24日水曜日

STAP騒動の真相: 普通の30歳の研究者がNatureに論文を投稿することはまず不可能!

下記の動画は、約2年前のものですが、武田先生の解説は的確ですね。

今になって考えると、笹井先生は、STAP論文の指導をして、小保方さんを育て上げ、将来、世の中のためになる研究結果が出せると信じて、大きな夢を抱かれていましたね。

それを日本のマスコミが、真実を追究せずに潰してしまいました。
日本にとって、たいへん大きな損失ですね。

今となっては、この犠牲を、今後、どのように活かしていくのか、それがもっとも重要だと思いますね。

普通の30歳の研究者がNatureに論文を投稿することはまず不可能!



2014/03/27 に動画公開

STAP細胞の論文の一部に間違いがあったということで、日本中が大騒ぎした。この論文の筆頭者(論文の共著者の最初に書いてある人)が30歳の研究者であることで話題に­なった。「女性」か「男性」というのはあまり関係がないこの問題について、考えてみた­い。

30歳の研究者というのはどのぐらいの実力かということを日本社会は理解していないように思うので、著者をかばうとかそういう詰まらないことではなく、研究者と言うのはど­ういうものかについて少し紹介したい。

博士課程を終わるのが最短で28歳だから、30歳の研究者は研究を始めたばかりの人である、

普通の30歳の研究者がNatureに論文を投稿することはまず不可能である、

普通の(Natureよりレベルが低い)英語の論文を一人で作成して、投稿し、査読(審査)に耐えて掲載に至ることは不可能と考えられる、

普通は教授やそのレベルの経験を積んだ指導者が横にいて、査読結果(2、3度くる)が来るたびに、査読委員の文章を読み、打ち合わせる、

30歳の研究者が独自に査読委員の質問や訂正要求に応じることができるのはレベルの低い学術誌だけで、このレベルの場合、質問の意味がわからない、どうして答えたらよいか­わからない、というのが普通だ。

こうして少しずつ研究者は育っていく。研究者に必要なのは、「ミスなく論文を出す」ということではなく、まずは「着想や実力を上げていく」ということで、普通は40歳ぐら­いになればある程度、独立して研究と投稿ができるようになる。

(学術分野ではつねに「故意は考えない」という原則がある。故意のものは自然科学でも時々あるが、その人の一生のうち、ほぼ明らかになるので、一つ一つを警察のようにチェ­ックする必要はないし、研究は意外なことなので、チェックする方法もない。 最近、佐村河内氏と比較されることがあるが、故意があるかないかは決定的に違うし、難­しさも違う。)

(平成26年3月26日)武田邦彦


2015年5月31日日曜日

理研改革はJカーブでなくγカーブで進める

 理研改革はJカーブでなくγカーブで進める

――京大改革に続いて大変なお仕事になりますね。
大変だとか苦しいとか思ったことはありません。何かをやるには楽しむことが大切です。私は何かをするときには「4つのガク力」必要だと言っています。一つ目は「学力」、文字通り学問の力。「額力」は前頭葉、思いやりです。自分の立場や考え方を押しつけるのではなく、相手のことを考える。仮に切ったとしてもその後の人生や生活のことを含めてフォローすることも必要です。「顎力」はコミュニケーションの力、論理性、説得する力。そして「楽力」。どのような状況も楽しむこと。それがあれば道は開けます。

(出典:東洋経済新報社ホームページ



2014年5月10日土曜日

【STAP騒動の解説 260510】 違和感のある理研の指導者・・・若い研究員を見るのは科学者の本能





違和感のある理研の指導者
・・・若い研究員を見るのは科学者の本能


STAP事件に関する著作権や公知などの論理的なことは、このブログでも書きましたが、私はそれを超えても理研の今回の騒動にはどうしても理解できないことがあります。それは私の経験からくる「指導者の気持ち」です。


今回の論文がやや不出来だった(論文自体は立派だが、一部にミスがある)のは確かです。でも、それが気になるのが年をとった研究者です。私もそうですが、50歳も超えるぐらいの研究者の多くが、心のなかでいつも「若い人を見てやらなければ」という気持ちがあります。


それは義務とかそういうものではなく、ちょうどお母さんが我が子ではない子供がいると気が気ではないという状態と同じです。若いからなにかヘマをするのではないか、という気持ちがあり、ちょっと見て上げたいと常に思っているのです。


たとえば、論文ばかりではなく、小さな学会で発表するときにも「ちょっと練習してみる」とか声をかけるのが普通です。みんなが「学問」に対して興味を持ち、健全な人間関係があれば、自然に「自分の部下だから」と言うことではなく、自由な雰囲気の下でお互いに助け合うからです。


今回の調査委員会の発表では、あまりにも不透明なところが多く見られました。2012年4月に小保方さんと若山さんがネイチャーに投稿して拒絶され、それではということでほぼ同じ内容の論文を同年7月にサイエンスにだし、その査読(審査)過程で写真の切り貼りを指摘された。


当然ではあるが、複数の著者が共同して論文を出すときには、連絡係(この場合は小保方さん)が受け取ったジャーナルからの査読結果は、「必ず」共著者に送る。もし送られてこなければどのように修正しているのか不明ないので、「私は共著者を辞退する」というのが正しい。それも言えないというのだったら、指導者としての職を辞してもらいたい。


調査委員会は「サイエンスの査読段階で注意を受けているので、小保方さんの悪意は証明されている」と言ったが、それなら「笹井さん、若山さんの悪意も証明された」ということであり、もし査読を見ないで共著者に収まっていたなら「詐欺」であり、理研に「論文サギ・・偽った著者」に対する規則がないことを明らかにしなければならない。


また、2つの論文が拒絶されたので、ベテランの笹井さんが論文の再提出に協力したので、笹井さんは当然でもあるが、提出されて拒絶された2つの論文とその査読結果を見たのは間違いない。これは「小保方さんが知っていたはずだ」というより明確だ。


というのは若い研究員は査読結果の意味を正確に把握することはむつかしい。でも笹井さんなら正確に「写真が不適切」という査読委員の意味は理解したに違いない。また、写真の加工は「研究に携わっていない査読委員が短い時間のチェックでわかった」ものだから、当然、「類似研究をしている同一組織の研究に携わり、不完全な論文を良い論文にするという任務を持った笹井さんが約1年間で気が付かないはずはない」ということ、小保方さんはリーダーだから一緒に研究していた人もいるし、一週間に一回ぐらいは研究会もあったのだから、多くの目に触れているはずだ。まさか「まったく実験していない」と言うことはないだろう。


だから、もし今回の論文に不正や悪意があったなら、それは小保方さん、笹井さん、若山さんはもちろん、理研そのものもわかっていて、それが常態であったと考えられる。


また実験ノートが不信を増大させる材料に使われているが、実験をしたかどうかは「小保方さんの部下」に聞けば一度にわかる。つまり、STAP細胞の実験をしたかどうかをなぜ小保方さんの実験ノートだけしか証拠がないのだろうか? 「ユニットリーダー」と言うぐらいだから、部下はいただろうし(一説では10名ぐらい)、まさか素人ではないだろうから、部下の経歴と関与を公表すべきである。


いったい、理研と言うのは大学でもなく、企業でもなく、組織でもない(小保方さんが理研の批判をする記者会見を退職させずにやらせた)、実に奇妙なところだ。納税者としてはこんなところに税金を出すわけにはいかない。


(平成26年5月10日)
 武田邦彦
(出典:武田邦彦先生のブログ






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