ぬかりはないが何も出てこない人と、ぬけているがひらめく人
人間は万全でもなく、すべてをカバーできる人も少ない。とかく、うっかり屋さんは良い成果を生むけれど、何から何まで気を配ることができる人は創造的なことは苦手と言うことが多い。
多くの学生を育てるうえで、最も大切なことは、その人なりの個性を生かして長所を伸ばすことだ。間違いが多い学生で、だらしない学生もいるけれど、何かに夢中になって他のことがおろそかになる「赤ちゃん型」の学生も多い。そのような学生は機械や電機などの分野では特に伸びるように感じられる。
赤ちゃんは何にでも興味を示し、やる気満々である。これに対してミスのないしっかり者の大人の中には、確かに抜かりはないが面白い結果は期待できない人もいる。
もともと日本社会はミスを咎める傾向があるが、最近のマスメディアやネットを見ていると、悪いほうの日本文化が発達して、ミスを咎める傾向がある。まさに「角を矯めて牛を殺す」と言うことが現実レベルになってきたように感じられる。
ミスをする人を見て「そんなこと信じられない」と言う人が同時に「奇想天外な着想」ができるかというと正反対のように思う。
まして、科学の分野では「成果は人類共通のたから」であり(公知・・・「こうち」と読む)、決して発見者の所有物ではない。「所有物概念」がはっきりしているのは「世俗的な考えの人」で、科学そのものに興味があると、つい人のものも自分が使ってよいと思うのが普通で、しかも法律的にも正しい。
「コピペしてはいけない!」などと、違法(科学の成果を無断で使う人を非難すること)を教える人は、自分自身が所有権を重視するお金にまみれた人だが、そのような人に「平和への道」を閉ざされたくない。
(参考)著作権法
- 著作物とは「思想または感情に基づき、創造的な表現物」である。
- 著作したものの引用が必要なのは、その著作が著作物である場合だけである。
(平成26年4月4日)
武田邦彦
(出典:武田邦彦先生のブログ)