2016年3月1日火曜日

STAP騒動の真実: 現代の宗教裁判(1) 若山教授は逃げ切るのだろうか?

この動画は1年以上前の動画音声ですが、解説は的確ですね。



ガリレオが地動説を出し、宗教裁判にかけられて有罪判決を受けたとき、「それでも地球は回っている」とつぶやいたとされる。歴史的な事実かどうかは疑問があるところだが、多くの日本人はこのことを知っている。

その時、ガリレオを糾弾したには、聖書に書いていないという他に、「目で見てみろ!どう見ても太陽が動いているじゃないか!」という常識的な世論もあった。科学の新しい発見を、今までの常識で理解しようとすればすべてはウソになる。

ノーベル賞を受賞した研究者が、「研究はいばらの道だった。誰もできないと思っていたし、苦節20年、誰も協力しない中でついに夢を果たした」と言ってもだれも不思議には思わないだろう。2,3年の研究で優れた研究成果を出すのはむつかしい。

「人になんと言われようと自分の考えを貫け」とか、「研究というもの10年や20年でへこたれたらダメだ」とも言う。「新しいことに果敢に挑戦する若い人を育てなければ」とも繰り返される。

STAP論文が2014年2月に問題になってから、すぐ研究者の一人で指導者だった若山教授は外国の雑誌のインタビューに長く答え、「小保方さんの指導で、実際に自分もやってみて細胞を確立した」と明言している。しかし、その後、若山教授は寝返って小保方さんの批判に回ったので、日本のマスコミはその裏切りを評価して、若山教授については不問に付している。

小保方さんは責任をとって(責任があるとしたら理研などだが)理研を退職するそうだが、退職金もない臨時の雇用だそうだ。正規の指導者だった笹井さんは自殺されたが、若山教授は逃げ切るのだろうか?

その年の暮、つまり今年だが、STAP論文の「検証結果」なるものがでて、新聞をにぎわせている。論調は相変わらず「小保方憎し、指導者はすべて無罪」ということになった。冷静で論理的な結論ではなく、感情で「憎い、好き」に分けて、それに論理の衣を被せるという方法だ。

まさにガリレオの時に行われた宗教裁判である。科学は「現在、正しいと思うことを覆していく」というのが最大の活動だから、新しいことを私たちが「正しい、間違っている」と分類することはできない。

しかし、現在の日本は「空気」ができると、マスコミがビクビクして空気に逆らう報道は絶対にしない。だから、空気が事実として確定する。

ある新聞は「**回、実験しても再現性が得られなかった」と書き、それで「STAP細胞はなかった。ウソだった」としているが、どうしようもないほどレベルが低い。こんな論理で科学ができるはずもない。

たとえば「100回も実験しても再現性が得られなかった」ということと、「そういう現象はない」という間に直接的な関係はない。その時、研究の対象としている自然現象が「100回の実験でかならず再現性が得られる」という証明が必要である。学生がこんなことを言ったら、私は教授として、「君、何を言っているのか。そんな杜撰な論理では研究はできないよ」と言うだろう。

また「論文が正しいかどうかの検証を行うシステムが必要だ」と書いてある新聞もあったが、そんな方法があるなら科学そのものが不要である。もともと電灯も冷蔵庫も、遺伝子工学もスマホも、紫式部や赤穂浪士には「ウソかマジック」に見えるだろう。現在、それを科学で説明できるのは、科学が「ウソかマジック」ではないことを示したからに相違ない。

日本の科学はSTAP事件を通じて、完璧に破壊されてしまった。今後、日本の科学でできることは、「すでにできていて正しいことが分かっていること」に限られるので、夢を持った若者は科学に進まない方がよい。現代の宗教裁判で袋叩きに遭う。

科学は間違いや錯覚に寛容である。寛容でなければ人間の頭脳で新しいことに挑戦できないからである。

(平成26年12月20日)
武田邦彦
(出典:武田邦彦先生のブログ





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