2014年7月21日月曜日

【STAP騒動の解説 260708】   科学の楽しみ(5)   厳しくはチェックしないが、少しは仲間でチェックしよう



科学の楽しみ(5)  厳しくはチェックしないが、少しは仲間でチェックしよう


自然を研究して、自分の意思で自由に発表したり、論文を書いたりする。発表するにも論文を書くにもお金がいるし(発表はおおよそ交通費、宿泊費、参加費などで5万円から10万円、論文は印刷代を含めて7万円ぐらい)、見返りはないのだから、そんなことでケチをつけられたり、批判されたらたまらない。


面倒だから発表などしたくない・・・という人が歴史的にもいて、ニュートンの時代のイギリス貴族のキャビンディッシュである。彼は偉大な発見をいくつもしたが、世間との関係ができるのをいやがって生涯、一つも発表しなかったという剛の者である。


でも普通の人は自分のやったことを自慢したいこともあり、仲間に批判されたい(そうしないと独善に陥るから研究が進まない)という気持ちもあって発表する。学会発表なら面と向かうので、それで良いが論文は一方向なので、「査読」をしようじゃないかということになった。


学会が論文の査読委員を選んで、その人達に提出された論文を審査する。昔はベテランの学者が選ばれたが、最近では若い人もやっている。審査の目的は「あらを探す」とか「再現性のないものはダメ」ということではなく、「最低の記述がされて、論理性があるか」と言うことぐらいをチェックする。その時に誤字脱字なども見てくれる。


なにしろ、論文を出す人も無償、査読委員も無償(少なくとも私は数10年、報酬をいただいたことはない)の世界だから、悪いこともしないし、批判もほどほどである。仕事としてやっているわけでもなく、単なる興味のグループがすることなのだから。


この手続きを踏んだ論文を「査読つき論文」という。だから「科学的に正しい」ということではない。地球温暖化が話題になったとき、「査読つき論文」という言葉が流行った。「査読つき論文を多く出している人は信用できる」と科学と関係の無い人が言って、困った物だった。査読つき論文など簡単で、自分たちで「温暖化学会」のような物を作り、そこに論文を出せば、いくらでも「査読つき論文」などできるからだ


ところで、20世紀も過ぎてくると、学問も商業的になり、ネイチャーのような「商業誌」が「学会誌」より偉くなる。というのは学会誌は儲けなどに関係がないので、「皆が注目するかどうか」に関係なく論文を掲載する。それに対して商業誌は「売れるかどうか」で論文を決めるようになった。そうなるとその方が面白いので、だんだん商業誌が有名になる。STAP事件も商業誌だ。


仲間内で論文をチェックして、科学の道を究めようというのはずいぶん変質した。でも現在でも変質しているのは、普通の学者ではなく、文科省のお金や地位を狙っている御用学者、賞を取りたいと名誉欲が非常に強い学者などであり、一般の学者は学問的興味で一所懸命に研究している人が多い。でも、新聞記者とおつきあいをしている学者はおおむね、名誉欲が強く、ワインが好きな場合が多い。


科学に興味の無い人は、「報酬がなくて努力するはずはない」と確信しているが、そうでもない。多くの学者は報酬とは関係なく、興味に基づいて研究をしている。私の感じでは、世間が学問の世界に入ってくると、まさに「悪貨、良貨を駆逐する」という具合に、悪い学者が指導層にいって、ますます学問の世界が汚れ、それだけ進歩しなくなる。


それは「自由な魂」と「謙虚な気持ち」を失うからに他ならない。私は32歳の時、ふとした機会に「自分は外に飲みに行くより、部屋で論文を読んでいた方が楽しい」という自分の奇妙な性格に気がついたことで、学者としての人生を歩んできた。 今でも、知らないことを知り、判らないナゾが解けることに無常の喜びを感じる。


この世には音楽を聴くのが楽しくて仕方が無い、小説を読むのが好きでたまらないという人はいないのだろうか?? 誰もが儲かるため、名誉を得るために音楽を聴き、小説を読み、スポーツをしているのだろうか? わたしはそうではないと思う。でもそんな人が目立って、その世界を破壊しているような気がする。


江戸末期、日本に来た外国人は、日本人の職人が「それがどのぐらいの儲けになるのか、どのぐらい世間が認めてくれるかとは全く関係なく、ただ自分が満足するまで一心不乱に作品に取り組み、決して止めない」と記述している。まさに我々も職人なのだ。


(平成26年7月8日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年7月17日木曜日

小保方晴子さんの博士論文「学位取り消しに該当しない」  早稲田大学が調査結果を発表 (STAP関連)

2014年07月17日 16時55分
(出典:弁護士ドットコム

「理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーの「博士論文」をめぐり、海外サイトなどの文章や画像の盗用が疑われていた問題で、早稲田大学の調査委員会(委員長・小林英明弁護士)は7月17日、小保方リーダーの行為は学位取り消しにあたらないとする調査結果を公表した。」


当然ですね。下記の解説で、より理解できると思います

【STAP騒動の解説 260317】
コピペは良いことか悪いことか? (1)基礎知識

【STAP騒動の解説 260318】
コピペは良いことか悪いことか? (2)学術論文の内容は誰のものか?

【STAP騒動の解説 260321】
コピペは良いことか悪いことか? (3)・・・「村の掟」で罰する人たち

【STAP騒動の解説 260327】
教育者がどんな時でも死守しなければならないこと・・STAPと教育

2014年07月17日 18:29 弁護士ドットコム
<小保方博士論文>「不正あったが学位取消に該当せず」早大調査委・配布資料(全文)




2014年7月16日水曜日

【STAP騒動の解説 260327】  教育者がどんな時でも死守しなければならないこと・・STAPと教育





教育者がどんな時でも死守しなければならないこと・・STAPと教育



教育者たるもの、どんな時でも命を懸けて守らなければならないもの、それは「教え子の名誉」だ。教育の責任はすべて教師にある。教えを受けた子供にはない。


STAP論文の関連で、早稲田大学がかつて認めた博士論文の審査を改めて外部に頼むとの報道があった。なんということか!!


・・・・・・・・・


中学校の時、定期試験で国語の答案を書いて先生に提出し、90点をもらって卒業したとする。その答案が保存され、公開され、ある時に、その答案の内容が「ある有名な文学者の作品の盗用」であったことが分かった。本人はすでに30歳で社会で活躍していたが、学校に呼び出されて卒業が取り消されたことを告げられる。


卒業生:「えっ! 卒業取り消し?! だって、先生が・・・それに僕は盗用したのではありません。僕の頭の中に文章が入っていたので、それを書いたのだと記憶しています・・・先生はどういっておられるのですか?」


学校:「先生はすでにご退職され、記憶もない。でも、ちゃんと証拠が残っている」


・・・・・・・・・


こんな日本は嫌だ。生徒がどんな答案を書こうが、先生が90点をつければ90点なのだ。そして、もしその答案に問題があれば、責任は90点をつけた先生にあり、生徒は教育中なので、責任は問われない。


教育とは「成果を残す」ことではなく、本人の実力をあげることだ。だから、基本的には教育が終わったら、本人に関することはすべて捨てても良い。本人が記念に持っておきたいと言うなら本人に渡せばよい。


この教育の原理原則は、小学校から大学、さらに大学院博士課程まで変わらない。提出した作品はどんなものでも、所有権は教育を受ける方にはなく、教育をしたほうにある。


大学でも採点の権限はすべて先生にあり、それは普段の試験でも、論文でも同じである。学生は博士論文の成果を自分のものにしたいなら、普通の学術論文として提出する必要がある。捨てるのはもったいないので、卒論などを図書館に保管することがあるが、それは「少しでも役に立てば」ということである。


法治国家では「法や規則はすべての人に平等」でなければならない。優れた答案や論文だから本人の責任を問うたり、中学校なら良いけれど博士論文はだめという「村の掟」を作ってはいけない。


また博士論文は、本人提出→主任教授の訂正指示→副査の先生の訂正指示→審査会→公聴会→教授会 というプロセスを経る。本人は提出した後は指示に従って修正するだけだから、社会的責任と言う点では、修正を強制される学生に責任を問うことはできず、主任教授、副査、公聴会に出た社会人、教授会にあり、本人にはない。権限なきところに責任もない。


また、学問としては、本人、そして主任教授、さらに副査の先生が意見を述べる必要があり、もしその意見を聞く必要があるとしたら、大学ではなく教授会である。大学は会社でも役所でもない。「上のものが責任を取る」ということは大学ではない。むしろ教授が採点した結果を学長が変更したら、そちらが罪になる。


教授は自分の授業を受けた「学長の息子」を「学長命令」に反して落第させることができる。このような専門職の業務の場合に、学長が責任を取る必要もない。学長が責任を取るのは、教授に任命したからでもない(教授の決定は教授会)、学校の経営などに関する「学長権限内」のことしかできない。


だから、今回の報道が正しければ、早稲田大学は権限を違反し、教育の基本中の基本(学生の責任を問わない)に反している。日本人の常識、マスコミの冷静で正しい報道に期待したい。


早稲田大学は直ちにステートメントを取り消すか、あるいは新しい教育論を説明してからにするとよい。大学は教授の保護者ではない。大学は過去の学生の瑕疵を責める権限もない。教授を保護して学生を罰するなら、大学を解散しなければならない。


(平成26年3月27日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





【STAP騒動の解説 260708】   科学の楽しみ(4)   好意で発表



科学の楽しみ(4) 好意で発表



科学の楽しみを3回に分けてお話をしました。この世は効率、お金、期限、対人関係などにまみれていますが、科学は世間とは一歩離れて、「真理の探究」をやっています。そうすると世間とはうまくいかないので、科学の世界で「掟」を決めていました。本当はまったく自由でも良いのですが、歴史的に少しずつ自然発生的に掟がありました。


まず、何かを研究して新しいことが判ったら、それを「社会」ではなく、「仲間」に発表します。それが「学会発表や学術論文」です。学会発表は仲間が聴き、学術論文は仲間しか読みません。学会に出るのに交通費もいるし、参加費を1万円ぐらいとられます。学会誌をとるのも1年に1万円ぐらいです。だから仲間しか見ません。


科学の成果は人類共通のものですから、オープンにした方が良いのに、仲間だけに発表するのは、2014年(今回)のSTAP事件のようになって、酷い仕打ちを受けるからです。科学は「自然を明らかにする」ことを目的としているのに、世間は「お金、利権、効率」などを目的にしているからです。普通は次のような批判を浴びます。


1)まだ、未完成じゃないか!
2)何の役に立つのか!
3)写真を張り間違っているじゃないか!
4)再現性はあるのか!
5)俺の結果と違う!
6)ウソじゃないか!


などです。今回もある学者が「論文を読んでも、実験ができない!」と批判していましたが、私がテレビなどで説明したように20世紀最大の発見と言われ、ノーベル賞をもらったDNA論文は1ページでポンチ絵があるだけです。「未完成」というのは科学では問題にならないのですが、一般社会では「立派な論文なのに作り方が厳密に書いていない」などと言われることがあります(批判した先生は研究をされていない人です。)


また科学は「役に立つ」ことを目的にしているのではなく、「真実」に近づくことですから役に立つかどうかなど100年後にしか判らないのです。でも、私はある学会に論文を出したら、査読委員から「この論文は何の役にも立たない」というコメントで拒絶されたことがあります。特に産業界の人が査読委員に当たると「科学は役に立つ物」という意識があるようです。


「写真が張り間違っているじゃないか!」というのはある程度、まともな指摘なのですが、私たちはあまり気にしません。もちろん、間違いがない方が良いのですが、私たちは「欠点を指摘するため」に論文を読むわけではなく、「なにか新しいことを教えてもらいたい」と思っているからです。


今回も、若山さん、笹井さん、小保方さんが「ご厚意」で論文を出していただいたので、STAP細胞というのを知ることができたわけで、あくまで彼らの親切心であって、義務ではありません。「こちらが論文の提出を命じて、出てきた論文をチェックする」というのではなく、彼らが「好意で私たちに教えてくれた」というものですから、間違いがあっても、そんなことを指摘することすら普通は遠慮します。


まして再現性があるか(これは第一回でお話をしました)、俺の結果と違う(最初のうちだからいろいろなデータがある。そのうち、一つになる)などはあまり関心もありません。まして「ウソ」などはまったく気にもしません。もともと「義務、お金」などで発表しているのではなく、「好意」なのですから、ウソをつく必要が無いからです。


それでも、人間ですから、長い年月(100年ぐらい)には数件のウソがありますが、そんなことを日常的に気にしても仕方が無いのです。また、自然は最終的にはウソをつきませんから、しばらくしたら自然にウソは判ります。だから、論文がウソかどうかを調べるより、しばらくほかっておいた方が効率的にウソを見分ける事ができます。


このように仲間内なら、今回のSTAP事件で問題にされていることは、問題にはならず、おそらく小保方さんは普通に研究を続けていたと思います。そして、もし研究がウソなら、次の論文は出てこないでしょうし、他の人も関心を失っていくでしょう。つまり何もなかったように消えていって、さして労力もかからなかったと思います。


論文の間違いを指摘した人は、科学者のようですが、むしろどういう人で何が目的なのか、私には少し理解できないところがあります。


(平成26年7月8日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





2014年7月14日月曜日

【STAP騒動の解説 260707】  科学の楽しみ(3)   温暖化とタバコ


科学の楽しみ(3)  温暖化とタバコ



科学者は物事をどう見るのだろうか? 一般の人が「人間界のこと」を見ているとしたら、科学者は「自然界」を見る。さらに研究者は「未知の自然界」に挑戦しているので、そこは「意外なこと」だらけだ。でも、意外なことがなければ研究をしても「予想されること」や「あたりまえの事」が判るだけだから、面白くない。


そうなると科学の研究者は常に「意外なこと」に遭遇することになる。このシリーズの第一話は「ある駅のダイヤ」の話をした。一週間、ずっと1時から3時まで10分おきに列車が来たので、翌週も来ると思ったら全く来ない。なぜ、こんなことが起こるのかというと、ダイヤを決めているのが自然だから、人間の予想や最適なこととは無関係だからだ。


ある鋭い弁護士が、STAP細胞があれば事件は解決すると発言しているのを見て、自然に関係する事件に巻き込まれたら助からないとゾッとした。科学は再現性がない等と言っても「厳密な科学にそんなことはあり得ない」と言われて終わりだろうからである。ダイヤの話が少しでも役に立てばと思っている。


第二話は「結果と原因」だが、学生が陥りやすい間違いを例にしてお話をした。今回は、社会人が陥りやすいもので「自分の損得」や「社会の空気」が「事実」に優先して、相反する判断をすることを示したい。

このグラフは空気中のCO2濃度と世界の都市部の平均気温をプロットしたものである。20世紀に入って石油や石炭を燃やしたので、CO2が増えて都市部の気温が上がったと説明される。そして多くの人が「CO2が増えると温暖化するのだな」と強く信じる。

本当は、このグラフだけでCO2が増えたら温暖化するなどと思うはずもない。というのは、いろいろ考えられるからだ。
1)太陽活動が盛んになっているのではないか?
2)雲が少なくなって地表が暖められているのではないか?
 何しろ、地球の気温を支配する要因は数多いのだから、一つだけをとって「それが原因だ」と言っても少なくとも科学者は納得することができない。ところが一般の人が騙されるのは、さらに次のような科学的ではないことが入るからだ。


1)政府が言っている。
2)NHKが言っている。
3)アメリカ人が言っている、ドイツ人も言っている。
4)みんなが言っている。
5)専門家(事実は一部の専門家だが、NHKが片方しか出さない)が言っている。
6)石油ストーブを焚くと温かい。


これらはすべて「科学的ではない」ことだから、正しい判断をするために何の助けにもならない。科学は多数決でも、権力でもないからだ。たとえば「自分は科学者ではないから、専門家が言えばそう思わざるを得ない」という話があるが、これは「自分には判らない」と言っているのだから、「判らないことは口に出さない方が良い」と忠告してあげたい。


それでもどうしても科学者の判断を参考にしたいというなら、学問的な議論の場を作って、中立的にそれを聞いて判断するという方法もあるが、現在のIPCCのように「温暖化が起こるという学者だけを選んだ秘密会」の結果だけを聞いても、それは科学ではない。

次のグラフはこれで、「喫煙率が下がるほど、肺がんが増える」というものだ。地球温暖化ではCO2が増えると温暖化すると判断した人が、今度はこのグラフを見ると「おかしい?そんなはずはない」と言う。科学は思想でも損得でも、社会現象でもないので、グラフは常に同じ見方をしなければならない。地球温暖化は儲かるからCO2と関係があるといい、タバコの煙は嫌いだからこのグラフはウソと言うというのでは、「科学の衣を着て人を騙す」と言うことになる。


しかし、さらに言い訳がある。それは「温暖化は専門家が言っているし、タバコは医師が違う事を言っている」というものだ。これにはトリックがある。自分の気に入るグラフが出てくると、それを採用する理由として専門家を出してきて、自分の先入観と異なるグラフの場合は、専門家が違う事を言っているということで、受け入れない。それなら最初から、グラフを見ない方が良い。


このようなことは学生でも起こる。6月ぐらいから卒業研究を始め、やっと12月になってまとめようとしているときに相反するデータが出る。そうすると、「このデータは間違っている」と主張する。「なぜ間違っていると思うの?」と聞くと、「間違っている。先生、これは間違っています」という。


実際には、相反するデータが出ただけで、どちらが間違っていると言うことではない。「自分が卒業するためには、このデータを間違っているとしてください」といっているだけだ。私が「自然は複雑だから、相反するデータは出るよ。それを含めて論文を書いたら」というと、その力がないので、動揺し、頑張る。それが人間というものだ。


・・・・・・・・・


自然に対して人間はとても小さな存在だ。だから人間は常に錯覚し、間違う。でもそれが人間だから仕方が無い。人間ができることは、「人間が小さい」ということを知っている事だ。そしてその中で最大限の努力だけはできるという謙虚な気持ちがあって始めて科学は進歩する。


再現性があるとか、厳密で正しいのが科学だ、という人は自然の上に人間がいると思っている浅はかな人に見える。


(平成26年7月7日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ





2014年7月13日日曜日

【STAP騒動の解説 260606】 官房長官と理研調査委員会の記者会見





官房長官と理研調査委員会の記者会見



「説明してみんなにわかってもらいたい」という気配がまったく感じられないのが、官房長官のいつもの記者会見と、理研の調査委員会で前調査委員長が写真の(不正)使用で退任した後、代わりに委員長になった弁護士の人である。


もし、この世に政府が二つあり、それぞれの政府に官房長官がいて、どちらかわかりやすい方に予算を分配する仕組みなら(普通の町の商売)、にこにこ笑い、わかりやすい説明を試みるだろう。でも、官房長官は一人だし、彼の給料が国民から支払われていることはとうの昔に頭の中にはないように見える。


アメリカのように陽気で民主主義が根についているところのスポークスマンはほぼ笑顔で、愛想もよい。最近では中国も少しずつ女性のスポークスマンなどを使っているが、まだ「教えてやるぞ」という気配が感じられる。


一方、理研の調査委員長は、税金を使った理研の研究に不正があったかも知れないという時の責任者だから、調査については理研を代表してお詫びの気持ちでいっぱいのはずであるし、不正があってはいけないという気持ちも持っているはずである。


特に前委員長がこともあろうに、写真の不正を糾弾する責任者が不正な写真の使用をしていたということで辞任したのだから、かなり腰が低いかと思ったら、説明は不親切、一見して傲慢な顔つきだった。ぶっきらぼうの説明で「国民にわかってもらいたい」というのではなく、「できるだけ話したくない」という態度に終始していた。


若い研究員が80枚ある論文の写真を3枚、ミスしたというだけで調査を打ち切り、不正をしたのは若い研究員個人だけと言ったのに、現在の状態はそれどころか、政府、理研、関係学会が総出で、なにか「日本国の研究不正」に取り組んでいる。もし、「日本国の研究不正」に取り組む方が正しいなら、逆に「小保方さんの写真の取り違え」などは個人の問題だから、それで調査を終了して小保方さんだけを、写真3枚のとりちがえだけで処分するというのは実に奇妙だ。


・・・・・・・・・


「説明責任」という時代、「民主主義」のものと日本でもあり、懇切丁寧に多くの人の疑問に答え、政府は政府の方針が国民に伝わるように力を尽くし、理研は不祥事をわびてできるだけ正確に国民に理解してもらわなければならないのは当然でもある。


憲法改正論議もそうであり、原発再開問題でも同じだが、まだ日本は近代化されていないので、どうしても「上に立つもの」とか「天下り」という意識があり、政府の上層部や国の機関の人が、税金を使っていることに対する正しい認識を持てないようである。


おそらくは日本では民主主義は、その考え方を輸入したもので、戦い、あるいは血を流して獲得したものではないので、なかなか身にしみるには時間が必要なのかも知れない。でも、「国民が判断するのだから、国民にできるだけ多くの情報を丁寧に伝える」ということに力を注ぎ、国民の合意の元で日本の力を結集できるようにしてもらいたいものである。


特に、スポークスマンの立場にいる人(官房長官や理研の説明に当たる人)は、まず第一に「どんなことがあってもウソをつかないこと」、「丁寧に説明すること」について十分な配慮をして、我慢強く新しい日本を作る努力をして欲しい。


たとえば、秘密保護法にしても、集団的自衛権にしても、多くの国民が「よくわからない」と言っているのだから内閣としては可能な限り説明の機会を作るべきだろう。また理研は、笹井、若山、丹羽、小保方さんの役割や、現実の研究状態など、普通の人にわかりやすく、包み隠さず(理研は特に隠す必要がない)、説明をすることを望んでいる。


理解できないことが山積みになるのは、選挙で代議士を選出するという議会制民主主義というものと反するけれど、それを補充する役割を持っている新聞やテレビはどうしているのだろうか?


(平成26年6月9日・・・日付は最初に執筆した日を示しています。掲載日は自動的に記録されるのと、その間での調査、修正がわかるからでもあります。)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






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