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2014年4月10日木曜日

STAP事件簿08 世間の参戦(1)「あり得ないコピペ」??





STAP事件簿08 世間の参戦(1)
「あり得ないコピペ」??



STAP事件では、相変わらず日本社会が情緒的で、リンチ的であることが露見した。マスコミの問題だけではない。



それは、「コピペ」が「絶対にしてはいけない悪いこと」というのが前提で事件が進んだことでわかり、その大きな理由の一つが、学生や若い研究者、また文科系の人が「科学の執筆物の著作権と社会への貢献」という勉強も体験もないことが大きかった(未知が野蛮な社会をリードする)。



「コピペが良いことか悪いことか」は「自然科学の著作物」の「権利と名誉」はどうなっているかによる。情緒的な判断や自分勝手な倫理は学問的ではない。

1)18世紀まで「人間の知の活動」の成果は人類共通の財産として常に解放されていた。文学などを含む。学者にとっても自分の業績が人類共通の財産になることが誇りだった(例外はある・ニュートンに代表される)。

2)ヨーロッパ社会の進展とともに、成果の権利について例外を設けたほうが良いということになった。



3)例外は「著作権」と「特許権(意匠権などを含む)」の2つで、それ以外は「人類共通の知」ということで「公知」と言う名前になっている(公道、公海、公園などと同じ。断らなくてもだれでも使ってよい知)

4)現在の日本でも同じで、例外は「著作権」と「特許権」だけである。でも、それはあくまで個人の利益のためではなく、社会の発展のためのベストな選択という意味である。



5)多くの人が誤解しているが、「著作権」というのは「書いたから俺の権利」ではなく、「思想又は感情に基づく創作物で表現されたもの」に限定されている。

7)通常の理科系の著作は、「思想又は感情」に基づいていないし、「創作物」でもないので、著作権はない。裁判の判例もそうである。

8)「著作権がない著作物」は公知であるから引用は不要である(これも多くの人が間違っている。著作権法32条は著作物に限り引用が必要とされている).著者は公知になって無断で利用してくれることを望んでいるはずである。


9)論文を書いたり、ネットに出したりする行為は、もともと「公知にしたい」という意思の表れだから、どんどん無断で使ってよい。それが嫌なら論文やネットに書かなければよいので、自分の頭の中のものを知られたくないという権利は十分に保障されている。


10)理科系の知の成果で、自分の権利にしたければ、特許を申請することができるし、論文を書かずに特許だけ書けばよい。その代り特許では「特許請求の範囲」という権利の範囲を明示して、その審査に合格する必要がある。

11)「倫理」と言う点では、社会の認識と反対だが、無断で引用するほうが倫理的である。つまり「人類共通の財産」を認め「公知」であるという法律に従っているからだ。引用しなければならないというのは法律より村の掟を上位に置く思想だから危険。



なぜ、人類の知の成果は「公知」が原則かと言うと、そのほうが人類全体が繁栄するからという理由と、人類が「自分、自分」というと争いになるので平和に向かうために「共通財産」をそのままにしようという考えがあるから、と言える。



オリンピックも「勝つために参加するのではなく、参加するのが意義がある」と言われるのは、「国別対抗」などにならないようにしている。今でもIOC(国際オリンピック委員会)は「国別メダル数」などは出していない。あれは商業主義のマスコミが集計しているだけだ。



私は論文を出したり、ものを書いたりする時には、「公知になって欲しい。多くの人の参考になれば」と思い、人類共通の財産を提供するつもりであり、決して「自分」ではない。



学者は憲法で学問の自由が保障され、教授は身分まで守られている。その恩返しをするのは日本人として当然だ。もしお金や権利が欲しければ、特許を申請して論文を書かなければ良いのだから、これも簡単なことだ。



ところでこれは数回後に欠く予定だが、「学校の先生がコピペはダメと言った」という学生の話を放映するテレビもテレビだが、「人類共通の財産を故意に使わせない」という先生の意図は「文章が下手だから訓練させる」ということであって、教育上の罰のようなものである。



でも相当な先生でも、論文に権利があると思っているし、「引用しないと失礼」とか「他人の文章を利用するなんて!」という人がいるが、学者なのに論理的にものを考えず、直感的、村の掟優先する人がいるから、いざこざが絶えず、結果的に戦争になる。(人類共通の財産と言うことを理解できず、所有権ばかりを主張している)



その人は公園のベンチに座るときに市役所に申請書をだすのだろうか? 公園のベンチも苦労して作った人がいるのだ。ずいぶん、わかりやすいと思うけれど、著作権法は法律だから自らの倫理観より社会的には優先する。



コピペを批判する学者は「思想または感情に基づいて」理系の論文を「創造」しているのだろうか?


(平成26年4月10日)
武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






STAP事件簿07 私がSTAP論文を読んでみると・・・






STAP事件簿07 私がSTAP論文を読んでみると・・・



私がSTAP論文を読んでみると、なかなかの大作で、図表が70枚ぐらいもある有意義で良い論文と言う印象を受けた。英語のレベルも高く、説明も丁寧、引用文献も多からず少なからず、なかなか優れた論文だ。



なにはともあれ、論文を読んでいくと、厳しい環境の中で生き残った細胞が初期化するのだな、そしてそれから生体が誕生する可能性があるということがわかる。それが真実かどうかではなく、著者はそう考えていることが分かる。論文はそれで十分で、真実が示されているわけではない(人間には不可能)。



基礎的な研究もあり、面白くもあり、さらに将来につながる大きな発見の可能性もあるなという感じだった。これならネイチャーの査読委員も掲載するだろう、世界の科学には大きな貢献をすることは明らかだ。



読んでいるとわたしには「間違った写真」というのはわからなかったし(査読委員もわからなかった)、もし2,3枚の写真が違っていても、この論文で示した新事実にはまったく影響はない。



私が日本の学者でこの論文に批判的な意見が理解できないのは、問題になっている論文は立派な論文で、刺激的であるし、かりに今、問題になっているところを修正してもしなくても、結果として示されていることは変わらないから、「科学的事実としてなにが問題なのだろう?」と思う。



たとえば、小保方さんや共著者の笹井さんなどを「再教育」する必要があるという見地からは、「もう少し慎重に論文を書きなさい」という忠告や指導はあり得るが、笹井さんなどは一流の研究者だから、それも失礼なことだ。



あえて言えば、あまりに親切に説明していることが結果的に小さな欠陥を作った感じもする。ベテランの学者なら写真などは半分も出さなかったと思うけれど、やはり若い研究者は(自分もそうだったが)「説明したい」という気持ちがあって、丁寧に写真などを出す傾向がある。



でも、それも問題はない。データを多く出すというのは危険なことだ。ミスも増えるし、基礎的な段階では「相反するデータ」というのが多くあるので、すべてを出すと論旨が通らない。これは「ウソをつく」とか「隠す」と言うことではなく、「相反するデータのある中で、その研究者はどのように考えているか」が分かればよいからである。



もし、すべてのことが分かってから論文を出したら、他の人はSTAP研究をすることすらなくなり(すべてが分かっているから研究にならない)、しかもそれが一人の人の人生の中で終わるかどうかわからない。



記者会見の後、やや心配な議論は「STAP細胞があればOK,なければダメ」という意見が出てきたことだ。いま、問題になっているのは、「論文の書き方に少し欠陥があった」ということであり、「論文自体が間違っていた」ということではない。



また基礎研究段階では、「これまでの事実から、こう考えられる」ということを「正しく」推論しても、後のそれが間違っていることがある。たとえば、地動説でも、ロケットを宇宙に打ち上げて太陽系を見たわけではなく、小さな望遠鏡で星の動きを見て、惑星の動きは計算してみると太陽の周りをまわっていないとつじつまが合わないと言っているだけだ。



でも最初はそれからスタートして、いろいろな観測をみんなでして、次第に新しい発見が完成していく。最初から「正しいかどうか」などを問うたら学問は成立しない。その意味で、STAP細胞は本当か?という質問は科学の進歩にとってきわめて危険である。


(平成26年4月10日)
武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ







STAP事件簿06 暗闇研究と月明かり研究





STAP事件簿06 暗闇研究と月明かり研究



どちらの研究が「正しい研究」かということではないけれど、研究には「暗闇研究」と「月明かり研究」がある。



暗闇研究と言うのは人類がまだ知らないことを手探りで調べていくもので、月明かり研究と言うのは先人がアメリカなどにいて、それを発展させたり、手法を作ったり、最適条件を探すような研究だ。



それ以外にも「昼間研究」というのもある。ある建物を設計するためにまだ不足している「材料疲労特性」を調べる研究で「研究さえすれば、結果がでる」というものだ。今回はこの「昼間研究」は触れないことにする。



私が若いころ、ある大先輩から「武田君はよく真っ暗闇を歩くことができるね。真っ暗闇だと、次に踏み出す一歩が谷底かも知れないから、恐怖心はない?」と聞いてくれた。



その頃、私はアメリカもフランスもチャレンジして失敗した研究に挑戦していた。だから「完全に暗闇」ということはないが、途中までは月明かりがあったけれど、すでに真っ暗闇に突入していた。



そんな研究では二つの恐怖心がある。一つは、「次の一歩で谷底に」という恐怖である。つまり先が見えないのだから、やっているうちに「これまでのことはすべて間違い」というのが分かる可能性がある。そうすると評判を落とし職を失い。



もう一つは、自分が歩いている道はすでに失敗する道で、さっきの分かれ道みたいなところで左に行かないといけないのではないかという研究の方向に対する恐怖である。この場合は、やってもやっても泥沼に入る。



いずれにしても、月明かりもないのだから、一歩一歩、手探りで進み、周囲もまったく理解してくれない。「成功する可能性は?」と言われても「わかりません」と答えるしかないし、「成功したらどういう役に立つの?」と聞かれても、最終的にどんな結果になるかわからないからこれにも答えられない。



それではそんな「真っ暗闇研究」はこれまで誰がやっていたかと言うと、アメリカ人やヨーロッパ人だ。日本の科学者とか東大教授とかいっても、彼らの追従をしてきたに過ぎない。人によっては彼らの理論を理解するだけで精いっぱいと言う学者もいる。



今回のSTAP事件の論評を見ると、「月明かり研究」をした人か、あるいは「研究をしたことがない人」が厳しいことを言っている。月明かり研究なら、研究は研究だが、うっすらと月明かりがあるから、それをたどっていけば目的に達する可能性が高い。不安も少ないし、研究結果がどのようなものになるかはうっすらとわかる。周囲も研究の意味や結果がわかるし、「アメリカに追いつけ」ということで協力してくれる。全然違う。



私の周辺の「真っ暗闇研究」を経験してきた人(その一人は私の大先輩、もう一人は国際的な研究者、さらにお一人は学会のトップだがよく見てきた人)は口をそろえて「武田先生の言っておられることの99%は同意です」と言ってくださった。



STAPに関して言えば、大筋の研究は正しい、論文のうまい下手は研究には無関係、写真の取り違えなど問題はない、基本的にはコピペOK、30歳ではあっぱれ、実験ノートなどいらない・・・ということだ。



特にテレビでコメントしていた、東大教授、名古屋大学教授、大阪大学准教授の方はいずれも「研究者としてありえない」という趣旨のことを言われていたが、それは「月明かり研究者としては」とさらに説明を加えたほうが良かった。


(平成26年4月10日)
武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ







2014年4月9日水曜日

STAP事件簿05 小保方さんの記者会見





STAP事件簿05 小保方さんの記者会見



驚くべきことに、2014年4月9日、小保方さんが記者会見を行い、「ご迷惑をかけた」と謝った。本来、謝るようなことは必要ないが、社会が勝手に騒ぎ、勝手に批判したのだから、「悪人」がいるとしたら社会だが。



いずれにしても、彼女はやや感情も動いていたが、論旨はしっかりしていた。



科学的事実自身はなにも問題ない、

論文を提出する際の「村の掟」をあまり知らなかった、

STAP細胞の研究をさらに続けたい

今回の論文は現象を示したにすぎず、今後は作成条件などを進めていきたい。


というものだった。



これまで日本社会は何を騒いでいたのだろうか? 「論文の書き方が悪い」からといって科学的進歩自体を破壊してしまうのが日本社会の目的だったのだろうか?



彼女自身が言ったように「研究とは違うことばかり」という感じは私が論文を読み、長い科学研究の経験とまったく同じ感覚だった。



またこの記者会見のなかで、質問する記者が「ネットで」とか「ソサイアティーは」とか曖昧な根拠を示すことが多かった。つまり、「悪人が善人をバッシングする」という「リンチの社会」がまだマスコミの存在やネットによって日本に横行していることを示している。



会見の中で、理研の策謀も明らかになった。理研は審査委員会のメンバーがたった一度、小保方さんのところに言って「ノートはありますか」と聞き、その場にあったノートをもっていった。そして理研の会見では「3年間で2冊しかノートがない」という理由で、研究が杜撰という結論を出した。



理研こそ、悪意を持つ集団の可能性が高い。日本人は権威に弱いので、個人と理研と言う権威が並ぶと、理研が正しいと仮定する悪い癖がある。もともと実験ノートは「研究とお金」が関係している時だけ必要で、本当の学問にはノートは関係ない。



またテレビでは学生が「自分の卒業論文でもコピペは・・・」というようなことを言っていたが、教育と研究を間違ったり、著作権を知らなかったり、村の掟だったりの方を信じているのは情けない。



私が読んだ感じは、「研究はしっかりしているが、論文を書くのに慣れていない」という感じがした。論文を書いた経験が浅いから、不完全なものは仕方がない。なぜ、日本社会はこれほど間違えるのだろうか。



STAP細胞があっても無くても、小保方さんは立派な研究者だ。



(平成26年4月9日)
武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






2014年4月8日火曜日

STAP事件簿04 ネットの威力と不思議な現象




STAP事件簿04 ネットの威力と不思議な現象


Xデーの後、1か月たたないうちに、STAP論文に対して「火の手」が上がった。そして4月初旬には「論文に不正行為があった」と理研が発表する。このことは「常識」では到底、考えられないことだ。



わずか1か月ほどの間に、STAP細胞の写真、小保方さんの博士論文の第一章の問題などが次々と指摘される。仮に指摘した人が「素人」とすると、驚くべき能力と情報力だ。STAP論文の内容を理解し、写真を見て判断でき、3年前に小保方さんが使った写真を知っていて、さらに博士論文の第一章に使われた文章が、遠くアメリカのネットに出ているものと同じということを指摘したのだから、すごい。



この中でも、コンピュータである程度、突き止められるコピペなどは別にして「不適切な写真」などは普通は専門家でなければわからないからだ。



たとえば私のように生物学も大学時代に専門課程でも学び、学術誌を読んでいる人でも、普通はネイチャーの論文を読み、「へー、こんなことがあるのだな」と思うだけで、そこに示された図が「間違ったもの」ということはわからない。



もちろん、ネイチャーの審査(査読)は厳密であり、かつ専門家中の専門家がやるのだから、それを私が読んでわかるはずもない。それがなぜ「ネットの人」はわかったのだろうか??



また、もう一つの疑問は、小保方さんが「ズルをする人」なら、早稲田大学の友人や先生、理研の仲間が分かっているはずだし、「普通の人」であっても、データを誤魔化すようなことが「集団で仕事をしていてわからない」ということはあり得ない。



NHKのニュースにでた早稲田大学の学生は、「日曜日にも熱心に研究していた」と賛辞を送っている。一連のNHKの放送では、小保方さんの日常が異常だったというものは一つもない。取材が正しく行われたとしたら、その後の取り扱いと全く違う。



大学で学生一人に実験をやらせているときには、「少しおかしいな」と思うことがあるが、2,3人でグループを作っている時にインチキをするということはあり得ないし、できない。



また研究は検討会があり、そこにデータが出てくるので、上司や関係先の人は研究過程ですべてを理解している。もしある時に作為的なことをしたら、つじつまが合わなくなる。なぜつじつまが合わなくなるかと言うと、普段の日常生活のことなら「全体の内容が良く分かっている」からこそゴマ化しもできるが、科学の研究は「次がどうなるか」がわからないので、ウソのつきようがないからだ。



つまり、一緒に研究しているグループの人、上司の人、共同研究の人、理研の人、知的財産担当者、ネイチャーの査読委員、そして私・・・などがすべて理解せずに研究が進み、論文を読んだのに、なぜ「ネットの人」が直ちに論文の欠陥と、普通には見ることができない博士論文を調べることができたのだろうか?



実に不思議である。



(平成26年4月8日)


武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年4月7日月曜日

STAP事件簿03 Xデー



STAP事件簿03 Xデー




2014年の正月。STAP細胞の関係者は忙しかった。なにしろネイチャーに掲載されるSTAP論文が1月末に掲載されることが決定されるわけだから、その時期に合わせてなにかの発表をする必要があるからだ。



どうせ発表するなら、できるだけ派手にやる必要がある。少し前なら、重要論文がでて、それが偶然にもマスコミの目に留まったら、研究者のところに記者が押し掛け、研究者が研究室の奥からでてきてはにかみながら記者の質問に答えるということだったが、今は違う。



研究がお金になるという時代、研究成果をどのぐらい派手に宣伝するかが研究費を獲得する上でも大切になる。研究者はそんな能力も求められる時代なのだ。



そこで、1月末までに、

1)誰を中心にして成果を強調するか。実績のある笹井さんか、あるいは若い小保方さんか?

2)笹井さんならお一人でも大丈夫だが、小保方さんとなると、まだ理研に入って数年なので、笹井さん(副センター長で上司)か、若山先生(共同研究者で教授)も同時に出席させることが必要となる。議論があっただろう。

3)議論の結果、「若い小保方さんを中心にしよう」ということになる。

4)広報部か発生センターの発案で、急いで研究室の壁をピンクに塗り、冷蔵庫にムーミンを貼ることが決まる。(この情報は複数個所から来ているもので、理研はこの疑問に答えなければならない。もともと公的財産である理研の研究室の壁を個人が勝手に塗ることはできないし、ムーミンぐらいは許すかも知れないが、漫画の張り紙や決まっている制服(白衣とか作業衣)以外の「割烹着」などを着ることは普通はむつかしい。もしそのようなことがあったら、杜撰か管理体制と言うことになる。

5)記者会見をするなら、NHKをはじめとしたマスメディアにどのように連絡するのが適当か、反響を大きくするために何を準備しなければならないか、広報部と発生センターとの間で、詳しい打ち合わせがあった。(どちらも自由にはできない)。



かくして2014年1月24日ぐらいには、小保方さん、若山先生、笹井さんなどのスケジュール調整、記者会見場所、記事が出てから理研の首脳部のコメント・・・など必要な数10項目について



広報部と発生センターで最終確認が行われた。



かなり大規模な準備だったということは確かである。



そして、いよいよXデーがくる。2014年1月30日だ。この日から4月の初旬に「論文は不正だった」と言う理研の記者会見までのことはすでに多くの人の知るところとなっているので、ポイントとなるテレビの画面などを参考にして思い出したい。



まず、最初の映像は1月30日のNHKの7時のニュースで「大発見」を報じるもので、次の映像は「リケジョ」という名前を付けてNHKが研究者の人物像を表面に出したものだ。佐村河内氏の場合と同じ手法だった。



次に周辺の研究者や先生で、一人は理研の上司の笹井さん。この人は万能細胞関係の研究では日本の有数の方で、36歳で京大教授になり、その後、理研に移っている。世界的な業績を上げている人と言ってよいだろう。



1月30日の記者会見では、笹井さんは、記者会見で、小保方さん―若山先生―笹井さんと並んで座り、時々、小保方さんの答えが不十分と思った時には小保方さんのマイクを取って自分で回答していた。研究に主導的な役割を果たしていたことは、経歴、実力、立場から当然でもある。



また、NHKでは小保方さんの人物像を詳しく報道したが、その一つが早稲田大学で博士号と取得したことだった。この映像は小保方さんの博士課程の指導教員で、後に博士論文疑惑が出てきたが、現在(2014年4月)の時点で、まだマスコミには出てこられないので、論評できないが、早く何らかの形で博士論文審査の時の考えを公表してもらいたいと思う。



ともかく、こうしてSTAP細胞のXデーは「大成功」で終わった。



(注)著作権の判例では、テレビの画像の一部を切り貼りして使うのは、番組自体を激しく攻撃するような場合を除き、著作権(「思想又は感情に基づき創作的に表現したもの」に該当しない。



(平成26年4月7日)


武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ







STAP事件簿02 2013年暮れ


STAP事件簿02 2013年暮れ




2013年の5月の連休もあけて、理研は第二段階に入った。



知的財産担当は連休前に提出した国際特許を今後どうするかの協議を続けていた。国際特許はその後、各国の知的財産を申請するのが普通であるが、方法や戦略は多岐にわたる。



とにかく「お金になる特許」と考えられるので、関係先との調整も含めて慎重に進められてきた。理研としても国庫の研究費を獲得したり、理研100年の計にも影響があるこの特許に強い関心を持っていた。



当時の理研の知的財産に関する重要会議の議事録などが公開されることを望む。



現場では、まず小保方さんが毎日のようにネイチャーからくる「査読結果」に追われていた。論文を出すと数か月で最初の審査の結果が来て、普通は2か月以内ぐらいに返事を出す。



査読は、研究の筋から、文章、さらには語句の修正まで多くの指摘があり、写真などの追加、修正、説明などを求められる。



論文は提出された後、思いがけなく「そのまま通る」ということもあるが、もし「ある程度、杜撰な論文」の場合は、少なくとも数回は査読委員とのやり取りがある。かつては郵送だったのでかなりの時間を要したが、最近はメールで片付くので格段に早くなったが、それでも返事を出すのに1か月ぐらいはかかる。



そこで小保方さんは上司とも相談しながら、査読に対応していた。その間、10名ほどの実験部隊は追加データを取ったり、新しい実験に取り組んだりしていただろう。



その努力が報いられて、投降した論文は、ついに10か月後の暮れも押し迫った2013年12月20日に「アクセプト・・・つまり査読を通過して雑誌への掲載が決定される。上のものでは、"Accepted 20 December 2013"となっているところで、日本語では「2013年12月20日 掲載証人」という意味である。」されたのである!!



論文を提出してもそれが「アクセプト」(掲載可)になるかどうかは一つの賭けだから、研究チームも、上司も、理研首脳部も喜んだに相違ない。



またタイミングも2014年の4月に理研の「特定法人」の指定の時期から言って、その前年の12月だから、最善だ。このような経営的な意味を持つ論文や特許は首脳部はその経過を事細かに知っているのが普通である。



また、日本人は欧米のソサイアティーに深く入り込めないので、「論文を出したら、査読に従う」というのが普通だが、アメリカなどでは、雑誌社の関係者に電話して「急ぐから何とかしてほしい」ぐらいの圧力はかける。



今回の論文はハーバードのバカンティ教授も関与しているし、理研も国際的なネットワークを持っているので、ネイチャーとの事前の折衝もあったと考えても良い。



いずれにしても、ネイチャー論文が2014年の一月末に掲載されえることになり、理研もさらに先のことに動き出すことができるようになった。



特許は公開するまで内容を秘密にしておかなければならないので、「記者会見」のような派手なことはできない。しかし論文は掲載されれば直ちに詳細が分かるので、演出もできる。だから「論文掲載の決定」は組織にとっては重要である。



ところで、ここで論文と特許の著者(発明者)を確認しておきたい。論文の著者(横のコピペ)はすでにマスメディアを通じて明らかなように、小保方さんを筆頭にして、若山教授、笹井さんなどが並んでいるが、特許の発明者にはバカンティ教授を筆頭として、小保方さんは一発明者である。(下のコピペ)



いずれにしても2013年暮れ、理研の関係者は「忘年会と祝賀会」を開いて年を越すことになった。


(平成26年4月7日)


武田邦彦


(出典:武田邦彦先生のブログ




2014年4月6日日曜日

STAP事件簿01 2013年正月






STAP事件簿01 2013年正月




(STAB事件は今、進行中ですが、日本文化(学問、教育、若者)のために大切なことなので、整理をしておきます)


STAP事件簿は、今(2014年4月)からさかのぼること約1年3か月、つまり2013年の正月から始めることとする。



正月明けから理研の発生再生総合研究センター(発生センターと呼ぶ)の首脳部は重要な決定をしようとしていた。それは数か月先、できれば3月か4月までに、STAP細胞についての「理研の特許」と「ネイチャーに掲載されるような論文」を出すことを決めなければならなかったからだ。



「木を見て森を見ず」にならないように、この事件簿ではできるだけ詳細にわたることを避けて、物事の本質に迫りたいと思うので、この会議の細かい発言や人物像はここでは割愛して、先に進む。



国際特許を出しても、論文を出しても、いずれ1年から2年ほどの間に公開されるので、ほぼ同時期に出すのが適当だ。つまり、特許だけにすればお金だけ、論文を出せば名誉だけ、と言うことだから「お金と名誉」の二つが必要な理研としてはどうしても二つは出さなければならない。



しかし、特許の方は「権利を持つのは組織」で「発明者は二の次」であるし、論文はその逆で「名誉を受けるのは個人」で「組織は二の次」である。



また特許というのは、「自然科学」と「社会の法律的権利」というかなり専門領域の違うものを結び付けなければならないので、それをつなぐために、実験担当者(小保方さん?)、上司(笹井さん?)、理研の弁理士(執筆者)で共同して行い、理研の知的所有権の部署にも十分な説明を上司の方からすることになった。



(この事件簿で?がついているのは、公式な発表がないことから確認が取れていないもの、警察の捜査が必要なものなどのものである)



理研以外にSTAP技術の権利を主張するアメリカ・ハーバード大学との提携機関である「ブリガム女性病院」、日本の「東京女子医大」などがあるので、そことの合意を測りながら、国際特許を出願することになった。



理研のデータについては小保方さんを中心とした実験チームが出して、上司と弁理士が説明を受け、弁理士が代筆して第一案を出して来たら、それを理研の発生センターで検討し、合わせて日米の関係先に検討してもらうことになった。



現場はさっそく作業に入り、弁理士が発生センターに来て、実験の様子やデータ、打ち合わせを行い、知的財産部では、アメリカと女子医大との間で、これまでの成果に対する貢献割合を決めて、特許になった時のお金の取り分などの協議に入った。



特許の方が動き始めたとき、小保方さんや上司などの現場サイドはさらに忙しくなった。というのは、特許と論文のデータなどの中身は同じだったが、ネイチャーに論文を出すとすると、どのような構成で行くか、英文の作成、写真や図表の整備などが必要なので、それはそれで並行して現場チームが担当した。



そして、運命の論文が2013年3月10日、旧陸軍記念日にネイチャーに投稿された。論文の表紙には、”Received 10 March 2013” となっている。つまり、論文の原稿が小保方さんからネイチャーに送られて、ネイチャーの担当者が投稿されたことを確認したのが3月10日だったということが分かる。



続いて、2013年4月24日に特許が出願された。正月から3か月、理研や関係機関の多くの人が努力した、「特許と論文」はこうして提出され、発生センター長、知的財産部署長、そしておそらくは理研理事長から「世紀の発見と工業所有権の申請」についてねぎらいの言葉があり、これが理研の今後の「発展」(学問的発展ではないが)に大きな意味を持つことが関係者で確認されたであろう。



そして、5月の連休には一仕事を終わった人たちがしばらくぶりの休みを取り、ゆっくりと骨を休めた。



理研の記者会見で私が不信感を持っているのは、特許と論文がほぼ同時にでてきて内容も同じと考えられるのに、「理研が出した特許」には触れず、「個人が出した論文」だけを問題にしたということです。



普通には「同じな内容の特許を出していて、それは理研が出した(主体者は組織としての理研)ものだから、論文に記載されているのは事実である。」と言うはずだからです。


(平成26年4月6日)


(録音を聴いてみると弁理士のことを弁護士と言っているところがありました。すみません)


武田邦彦









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