2014年7月14日月曜日

【STAP騒動の解説 260707】  科学の楽しみ(3)   温暖化とタバコ


科学の楽しみ(3)  温暖化とタバコ



科学者は物事をどう見るのだろうか? 一般の人が「人間界のこと」を見ているとしたら、科学者は「自然界」を見る。さらに研究者は「未知の自然界」に挑戦しているので、そこは「意外なこと」だらけだ。でも、意外なことがなければ研究をしても「予想されること」や「あたりまえの事」が判るだけだから、面白くない。


そうなると科学の研究者は常に「意外なこと」に遭遇することになる。このシリーズの第一話は「ある駅のダイヤ」の話をした。一週間、ずっと1時から3時まで10分おきに列車が来たので、翌週も来ると思ったら全く来ない。なぜ、こんなことが起こるのかというと、ダイヤを決めているのが自然だから、人間の予想や最適なこととは無関係だからだ。


ある鋭い弁護士が、STAP細胞があれば事件は解決すると発言しているのを見て、自然に関係する事件に巻き込まれたら助からないとゾッとした。科学は再現性がない等と言っても「厳密な科学にそんなことはあり得ない」と言われて終わりだろうからである。ダイヤの話が少しでも役に立てばと思っている。


第二話は「結果と原因」だが、学生が陥りやすい間違いを例にしてお話をした。今回は、社会人が陥りやすいもので「自分の損得」や「社会の空気」が「事実」に優先して、相反する判断をすることを示したい。

このグラフは空気中のCO2濃度と世界の都市部の平均気温をプロットしたものである。20世紀に入って石油や石炭を燃やしたので、CO2が増えて都市部の気温が上がったと説明される。そして多くの人が「CO2が増えると温暖化するのだな」と強く信じる。

本当は、このグラフだけでCO2が増えたら温暖化するなどと思うはずもない。というのは、いろいろ考えられるからだ。
1)太陽活動が盛んになっているのではないか?
2)雲が少なくなって地表が暖められているのではないか?
 何しろ、地球の気温を支配する要因は数多いのだから、一つだけをとって「それが原因だ」と言っても少なくとも科学者は納得することができない。ところが一般の人が騙されるのは、さらに次のような科学的ではないことが入るからだ。


1)政府が言っている。
2)NHKが言っている。
3)アメリカ人が言っている、ドイツ人も言っている。
4)みんなが言っている。
5)専門家(事実は一部の専門家だが、NHKが片方しか出さない)が言っている。
6)石油ストーブを焚くと温かい。


これらはすべて「科学的ではない」ことだから、正しい判断をするために何の助けにもならない。科学は多数決でも、権力でもないからだ。たとえば「自分は科学者ではないから、専門家が言えばそう思わざるを得ない」という話があるが、これは「自分には判らない」と言っているのだから、「判らないことは口に出さない方が良い」と忠告してあげたい。


それでもどうしても科学者の判断を参考にしたいというなら、学問的な議論の場を作って、中立的にそれを聞いて判断するという方法もあるが、現在のIPCCのように「温暖化が起こるという学者だけを選んだ秘密会」の結果だけを聞いても、それは科学ではない。

次のグラフはこれで、「喫煙率が下がるほど、肺がんが増える」というものだ。地球温暖化ではCO2が増えると温暖化すると判断した人が、今度はこのグラフを見ると「おかしい?そんなはずはない」と言う。科学は思想でも損得でも、社会現象でもないので、グラフは常に同じ見方をしなければならない。地球温暖化は儲かるからCO2と関係があるといい、タバコの煙は嫌いだからこのグラフはウソと言うというのでは、「科学の衣を着て人を騙す」と言うことになる。


しかし、さらに言い訳がある。それは「温暖化は専門家が言っているし、タバコは医師が違う事を言っている」というものだ。これにはトリックがある。自分の気に入るグラフが出てくると、それを採用する理由として専門家を出してきて、自分の先入観と異なるグラフの場合は、専門家が違う事を言っているということで、受け入れない。それなら最初から、グラフを見ない方が良い。


このようなことは学生でも起こる。6月ぐらいから卒業研究を始め、やっと12月になってまとめようとしているときに相反するデータが出る。そうすると、「このデータは間違っている」と主張する。「なぜ間違っていると思うの?」と聞くと、「間違っている。先生、これは間違っています」という。


実際には、相反するデータが出ただけで、どちらが間違っていると言うことではない。「自分が卒業するためには、このデータを間違っているとしてください」といっているだけだ。私が「自然は複雑だから、相反するデータは出るよ。それを含めて論文を書いたら」というと、その力がないので、動揺し、頑張る。それが人間というものだ。


・・・・・・・・・


自然に対して人間はとても小さな存在だ。だから人間は常に錯覚し、間違う。でもそれが人間だから仕方が無い。人間ができることは、「人間が小さい」ということを知っている事だ。そしてその中で最大限の努力だけはできるという謙虚な気持ちがあって始めて科学は進歩する。


再現性があるとか、厳密で正しいのが科学だ、という人は自然の上に人間がいると思っている浅はかな人に見える。


(平成26年7月7日)

武田邦彦

(出典:武田邦彦先生のブログ






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